ウルリッヒ・マイヤーホーシュのインタビュー
マイケルチェーホフ東京名誉芸術監督/俳優/演出家/マイケルチェーホフスタジオハンブルク
「闇を光に変える」
2016年4月「Created to create」プロジェクトの一環として、マラ・ラドロヴィッチによってインタビューを受ける
「私」について
ドイツとフランスの国境近くの小さな村で生まれました。そこはかつて歴史が甚大な苦悩と暴力をもたらしたヨーロッパの中心でした。両国間には癒えない傷がありましたが、それでも私は和解を信じて育ってきました。兄弟や親からのぬくもりによって愛され、全ての子どもがそうであるように好奇心が旺盛で、いつも友達と一緒になって、森や小川や草原など外で過ごしました。毎日新たな遊びを創りだしていました。自然の世界の全て、そしてそこに隠れた秘密は、想像を刺激し呼び起こすように、私に語りかけてきました。私は幸せな少年でした。
演技をするモチベーションは何なのか?
私は遊ぶことが好きです。ドイツ語で、演じる人・役者(actor)はSchauspieler=遊ぶ人・役者(player)となります。私が子どものとき遊んでいると、時々私はキッチンに走っていき母に「僕の遊んでいること見て!」と言ったものです。これこそが私にとっての演技の本質であります。それは遊ぶこと、他者とその喜びあふれる遊びを分かち合うことでした。
創作するための自分の必要性の裏には何がありますか?
私は人間です。なので、私は創作することを愛するのです。ヨーゼフ・ボイスは「全ての人間は芸術家である」(英訳「every human being an artist」・独語「jeder Mensch ein Kù」)。我々には十分な潜在力がある。ただ純粋に仕事をすること、他者と関わること、想像的な世界に夢中になること、自分のまだ知らない誰かに変身することが好きです。
マイケル・チェーホフのワークは演技や演出にどのように影響を及ぼしたんですか?
いつもそのテクニック使って仕事に取り組んでいます。それはもう第二の本質となってきています。時々ですが演技を強くするために、一つだけツールを選び取ります。ある喜劇を3年間続けて、400公演しました。大変好きではありましたが、コンフォートゾーンから抜け出し、まだ知らない世界に飛び込むために、チャレンジしていました。なので、自分に小さな課題を毎晩自分に与えました。ある時は芝居のスタッカートとレガートや、役の関係性の心理的身振り(サイコロジカルジェスチャー)や、役のセンターがシーンの間にどう変化するかや、時にはただ共演者に聴くことなどに焦点を絞りました。良いテクニックはコミュニケーションを取らせてくれます。舞台で自分とは違ったバックグランドを持っていたり、異なったテクニックを使っていたりするかもしれない役者とつながることを可能にします。役者が演技をするのに自由にしてくれるのです。
ベルリンでその公演をしてくれた時、チェーホフテクニックを使っている同僚がそれを観に来てくれました。とても気に入ってくれて、特にアンサンブルが一体となって演技していることを気に入ってくれました。そこで彼が、「どうやって観客が、チェーホフテクニックを使う俳優とそうではない俳優とを見分けることができるのだろうか?」と尋ねました。私はこう答えました、「じゃ、見分けないでほしい。」なぜなら舞台上では俳優はテクニックを見せているわけではなく、ただ演技をしているからです。重要なことは共演者、俳優が演じるストーリー、観客であるのです。
私の演出において、「雰囲気(atmosphere)」が肝となる要素です。チェーホフはそれを「全てのパフォーマンスの魂」と呼びました。全く本当です。雰囲気なしでは、何もありません。もし強力な雰囲気が作り出せたら、空間が生きはじます。空間が呼吸を始め、動き始めます。演出家として私の仕事は、可能性に満ちていている空間、恐怖がない空間、俳優が台本や共演者やイメージに対して心が開かれる創造者や役者になれる空間を作ることです。
制作する現場で何が怖いですか?自己に取り組むにあたって、なにが最も難しいですか?
まずは、重さです。身体的に、そして精神的な意味においてもです。
二つ目は、良くないという恐怖。あまりにばかげているということが分かっていますが、取り除くことができないのです。しかしそれに気が付くとすぐに、笑って言うのです、「おぉ、大きな坊や!また始まった!」自分を過大評価しすぎない!それは変わるための一歩です。ユーモアは助けになりますが、恐怖は何の助けにもなりません。
三つ目は、虚空に対峙し耐えること。次にどこに行くのか分からないこと。深淵を見下ろすこと。しかしそこでもう一度ですが、虚空に耳を澄ませることは、最も想像的になれる場所なのです。有益な矛盾です。
四つ目は、俳優として、自分や役の闇の全ての部分が露になる内面に深く掘り下げていくこと。自分自身から逃げることはできません。自分で不快な力を拒絶することもできません。それを受け入れ、それを持って仕事し、想像的なエネルギーに変化させていかなければなりません。私たちの仕事は闇を光に変えることです。時としてそれはとても怖いことです。
何からインスピレーションを得ますか?
寛大な人から私はインスピレーションを得ます。亡くなる前の、チェーホフの最後のレッスンは、「愛と恐怖」についてでした。生徒であったマリアクネビルは仕事の全てを舞台芸術に捧げました、私は人間の魂の情熱に惹かれるのです。
もっとも大きなインスピレーションは私の子ども達です。彼らは真の芸術家です。共に生活したり、ゲームをしたり、彼らと色々探求することは私を成長させてくれます。毎日新しい何かを学ばせてくれるのです。今彼らは十代で、ほとんど大人です。しかしながら彼等には素晴らしい輝く魂があります。全ての俳優には彼らのように輝いてほしいです。
仕事をする時にクリエイティブなルーティンワークはありますか?
ヨガや太極拳、伝統的な慣習といった、日常的なルーティンワークはしておりません。毎日が新しく、時としてそれが受け入れがたいものです。毎日には小さな危機があり、それによって気を引き締めて、活気づかせてくれます。なので、私の日常のルーティンは朝に目覚め、そして好奇心を持つということかもしれません…
マイケルチェーホフテクニックをいつ始めましたでしょうか?そして自分にとって始めた時の経験は、どれほど重要なものだったのでしょう?
25年以上前、私がまだ演技を学んでいた時、私はあまりに多くのイメージに囲まれ、それによって演技を邪魔するほどでした。私は混乱し極度に緊張をしていました。身体的なやり方でトレーニングを受けていましたが、そのイメージに形を与えることができませんでした。イメージがあまりに強かったのです。そして先生の一人が私にチェーホフテクニックを学ぶようにアドバイスしてくれ、そこで本を読みました。幸運にもロシア語からドイツ語の素晴らしい翻訳がありました。それは私にとっての啓示でした。私の演技に骨格を与えてくれる人がいたのです。チェーホフこそが私が取り組んできたイメージについて精通していた人だったのです。それはまさに私が経験していたことをチェーホフが知っているかのようでした。恐れていたものを、私は才能として使うことができるようになったのです。俳優として成長できました。
二人目のチェーホフの先生は、70年代にモスクワでマリア・クネベルから学んだ、ウラジミール・タラシアンズから学びました。彼はとても温かい人でしたが、またとても厳しい導き手でした。そして自分の「心の規律」に従うことを彼から学びました。90年代の初めには、私はハート・ハットフィールド、デイドレ・ハースト・デュ・プレイ、マラ・パワーズ、ジョアンナ・マーリンといった、チェーホフの直接の教え子と出会い、彼らから学ぶことができました。それ以来私はチェーホフのワークを勉強し続けています。私はテクニックによってインスピレーションを得ることができました。私が演出家になった時に、演出の仕事にでもその経験を使っています。生きたイメージの世界を信じること、そしてそれを舞台に持ってくることは、私にとっての核となりました。
あなたの夢はなんですか?
平和。癒し。融和。20世紀のもっとも衝撃的な芸術作品の1つは、「傷をみせろ(訳者翻訳)」作ヨセフ・ボイス(英語タイトル「Show your wound」・独語タイトル「Zeige deine Wunde」)。今日私達は暴力、冷徹さ、無関心という世界に住んでいます。社会や個人の生活において苦悩があります。舞台上で我々は心を開き、自分の傷や社会の傷を見せ、それを分かち合うのです。私はいつかその傷が癒されることを夢見ています。私の舞台作品はその癒しに捧げているのです。
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◇ウルリッヒ・マイヤーホーシュ
ウルリッヒ・マイヤー‐ホーシュは、ドイツの名門ハンブルグ演劇学校の芸術監督であり、マイケル・チェーホフヨーロッパ(MCE)のマスター講師、チューリッヒ芸術大学(スイス)やイスタンブールのイェディテペ大学(トルコ)で客員講師を務め、ニューヨークの国際マイケル チェーホフ協会(MICHA)の教授会員である。世界各国で教え、近年では台湾やシンガポール、3年前より日本でも教えている。